故・ZARD坂井泉水と大黒摩季はかつて不仲だったって本当でしょうか?
そしてなんとあの大物歌手である松田聖子と坂井泉水がいとこの噂もあるんです!!
真実が知りたいですよね!
坂井泉水と大黒摩季は不仲?松田聖子といとこの噂の真相を追及!
についてまとめてみました!
Contents
坂井泉水と大黒摩季の出会いは?
2007年に亡くなった、今や伝説の歌姫であるZARDの坂井泉水さん。そして今でも歌手と
して活動されている大黒摩季さんですが、かつて2人はどんな関係だったのでしょうか?
この2人の関係は今まであまりオープンには語られていませんでしたが、2人の出会いは
ZARDのデビューシングルである『Good-bye My Loneliness』のレコーディングの日に
初めて出会っているのです。
この曲のデモテープを歌っていたのは、なんと大黒摩季さんだったのです。この曲の作詞は
坂井泉水さんが手がけています。
プロデューサーである長戸大幸さんに連れて来られたのが、坂井泉水さんだったのですが、
当時大黒摩季さんはすでに下積みながらもレコーディングには何度も参加した事があったの
で、現場には慣れていたのです。でも坂井さんを初めて見た時に“みずみずしかったし、キラ
キラしていた”と語っています。
そして坂井泉水さんは大黒摩季さんよりも2歳年上ですが、丁寧にあいさつをし、言葉を
選んで話してくれ、品の良さも感じたと言っています。
デビュー曲であるこの運命の1曲、『Good-bye My Loneliness』が2人を出会わせたので
すね!この曲は初登場は28位だったのですが、発売から4週目に9位に入り、デビュー
シングルでありながら、初となるトップ10入りを果たしたほどの1曲なのです!!また、
初の年間チャート入りも果たしたのです!
大黒摩季さんもこの曲は坂井泉水さんの曲の中で、もっとも好きな曲の1曲だと語って
います。この曲で2人はぐっと仲が良くなったともいっていますね。本当に思い出の大切な曲
なのでしょうね!
坂井泉水が指名するほどの親友だった大黒摩季
ZARDで有名な曲である「君がいない」「揺れる思い」「負けないで」では、大黒摩季さんも
コーラスとして参加していますが、それは坂井泉水さんが大黒摩季さんを指名されたから
なのです!!
特に「揺れる思い」では、坂井泉水さんと大黒摩季さんがスタジオで考えながらつくったそう
です。
そのおかげもあってか、この曲「揺れる思い」も、ZARDのシングル売り上げの2位を記録
しているほどの大ヒット曲となりました。
そして2人はレコーディングの合間を見つけては抜け出しては、ドライブに行ったり、カフェ
に行ったりしていたんだそうです!
ですから、かなり仲が良かったんですよね!坂井泉水さんと大黒摩季さんは親友だったんだん
です!名前も「泉水ちゃん」「摩季ちゃん」と呼び合うほどの仲の良さと言っていますから
ね!
坂井泉水が亡くなったあとに大黒摩季が大バッシングを受けたのはなぜ?
坂井泉水さんが亡くなったあとに、大黒摩季さんは当時大バッシングを受ける事になったの
ですが、その原因は何だったのでしょうか?
それは、大黒さんが出演していた5月27日に放送されたフジテレビ系バラエティー番組
「ウチくる!?」という番組です。内容は、大黒さんがデビュー当時を振り返るというもので、
J-CASTニュースでこのように発言されていたからなんです。
「レコーディングの時、こいつ下手くそだなって思うアイドルもいっぱいいたでしょ?」
「はい、ぶっちゃけ。何であんたの気持ち悪い音程に合わせて私が歌わねばならないのだ!
カワイイって事はこういう事か!(バックコーラスではなく前で歌える)
やっぱ顔か~!体か~!みたいな!!何で!!(私は前で歌えないの)って感じじゃないです
か!」
と発言されていたんです。当時、大黒摩季さんは、「B’z」、「TUBE」、「ビーイング」の
コーラスにも参加されていましたから、このインタビューでZARDの名前を出さなかったの
です。そして坂井泉水さんはまさしく、元モデルでレースクイーンもやっていましたから、
顔も体も文句なしの美女ですからね。これは坂井泉水さんの事を言っている!と視聴者は
思い、大黒摩季さんは400件以上ものコメントが殺到して、大バッシングを受ける事に
なりました。
そのコメントとは、
・なんで坂井さんが死んだ時に限ってテレビであんなことを…
・真実ではないにしてもあんな不用意な発言はない
・ZARDの名前は出さなかったから、決まりだ
しかも、このインタビューが放送された日が、坂井泉水さんが亡くなった日だったのです。
これは、あまりにも悪い偶然が重なってしまったのです・・・。
でもこの発言を擁護する意見も多くありました。
・坂井さんの事を言っていると簡単に解釈しすぎ
・坂井さんはアイドルではないから、坂井さんの事ではない
ですがこれに対して会社側も「坂井泉水の事を指して言ったのではない」と反論しています。
大黒摩季さんはこの件で、坂井泉水と大黒摩季な不仲だった、と言われるようになってしまっ
たんですね。これはタイミングが最悪だった、という事が事態を大きくしてしまった要因と
なってしまったんですね・・・。
坂井泉水は小悪魔だったって本当?
坂井泉水さんと大黒摩季さんが90年代の前半だった当時は、先ほど書いたように、2人は
レコーディングの合間を見つけては抜け出しては、ドライブに行ったり、カフェに行ったり
していた程の仲の良さでしたが、それはすべて、坂井泉水さんから持ち掛けられていく事に
なったと語っていました!
いつも坂井泉水さんが「ねぇ~、摩季ちゃ~ん」といたずらな笑顔で言ってくるたびに、断れ
なかったと言っています。
やはり、美人の頼み事にはどんな女性も男性もかないませんよね・・・。
当時坂井泉水さんはほとんどメディアには顔を出していませんでしたので、顔バレする事が
なかったんですね。坂井泉水さんは、会社には小田急線で通っていたほどですからね。
そして2人は合間を見つけては抜け出すのですが、いつも怒られるのは大黒摩季さんだったと
言っていました。
でもきっと、大黒摩季さんも坂井泉水さんに頼まれて、そんなスリリングな事してるなんて、
すっごく楽しそうですよね!!2人でつかの間のドライブをしたり、お茶したり、当時すでに
売れっ子だった坂井泉水さんは、大黒摩季さんとの、このひと時が、救いの時間だったのでは
ないかな?と思いますよね!
坂井泉水の死因は何?
2007年の5月27日に亡くなっていますが、直接の死因は何だったのでしょうか?
まずは坂井泉水さんの病気の経歴を見てみましょう。
2000年以降、子宮筋腫、卵巣脳腫、子宮内膜症という女性特有の病気に次々とかかる。
2001年、1年間の活動休止。
2002年、活動再開。
2006年4月、仕事中に体調が激変した為、病院で検査を受けると子宮頸がんが発見され
る。
2006年6月1日、慶応義塾大学病院で病巣の摘出手術を受け、7月に退院する。
2007年4月、がんが肺へ転移している事が分かり再入院。抗がん剤の治療をはじめる。
とこのように、次々と病気が襲っているんですよね。しかも女性特有の病気ですから、相当に
辛かったと思います。そして運命の2007年の5月27日に、坂井泉水さんは入院していた
慶応大学院の病院のらせん階段から落ちてしまい、後頭部を強打したために亡くなっていま
す。
この原因から、直接の死因は、階段から落ちてしまった後頭部強打の脳挫傷から死へ繋がって
しまったのです。数々の病気にはなっていましたが、すぐにでも治してまた音楽の活動をやり
たい!と周囲にも言っていたという坂井泉水さん。
女性は女性器系の病気になってしまうとショックから“鬱”にもなりやすいと言われています。
ですが、坂井泉水さんは、そんな事は全くなかった、また復帰するつもりで仕事に対する意欲
満々だったと言われていしたから、やはり事故によって亡くなってしまった可能性が高いと
考えられますよね。
坂井泉水と大黒摩季の不仲説はデマだった?
坂井泉水さんと、大黒摩季さんは不仲なのか?については、デマだった!と言い切れると思い
ます。
坂井泉水さんが亡くなって、大黒摩季さんはこんな事も語っています。
「代わってあげたいと思いましたね。私が死んだってだれも何とも思わない。泉水ちゃんは
世の中に必要な人。私の歌は女子の一時の気持ちを発散させるだけ。泉水ちゃんみたいな歌の
人は生きていないと…。代わってやりたかった」
と、泣きながら言っていましたので、家族でもない人の死を自分が変わってあげたいなんて、
なかなか言えないと思います。そして、坂井泉水さんも、大黒摩季さんを親友として見ていた
からこそ、大黒摩季さんを頼ったのでしょうね。
私は彼女を心から尊敬し、同じ時代を共に過ごした戦友でもあり、この突然の悲報に胸が
詰まる思いでいっぱいです。
『戦友』とも語っている大黒摩季さん。
そして先ほども書きましたが、レコーディング時代に2人で抜け出したり、カフェに行ったり
していたなんて、本当に仲が良くないと出来ない事ですし、2人にしかない絆を感じます
よね。
大黒摩季さん自身も、婦人系の病気になっていた過去がありますので、誰よりも坂井さんの
気持ちを分かってもあげられるはずです。どんなに痛くて、どんなに苦しかったかも分かり
ますから、2人は本当に分かりあっていたのではないか?と感じます。
ですから不仲説というのは、勝手にイメージでつくり出した幻想だと思いますね!
坂井泉水と松田聖子はいとこなの?
昔から、坂井泉水さんと松田聖子さんは『いとこ』なのでは?と言われているのですが、その
原因は何んなのでしょうか?
なんと、坂井泉水さんも松田聖子さんも、本名は同じ「蒲地」(かまち)と言うんです。
松田聖子さんの本名は、蒲池法子(かまちのりこ)さんと言います。
そして坂井泉水さんの本名は、蒲池幸子さん。(かまちさちこ)
「蒲池」という苗字は、現在の福岡県柳川市の蒲池地域に由来しており、当地の領主だった
蒲池氏の苗字になります。
松田聖子さんは、柳川の大名の蒲池氏の子孫で、坂井泉水さんはその分家した血筋の子孫なの
ですね。ですが江戸時代以前に別れているため、現在の二人は従姉妹でもないし親戚でも身内
でもない!といえるんですね!
どうでしょう?真相がはっきりしましたか??でも大本をたどれば、やはり一つのところから
別れたが、遠い遠い昔はひとつの血筋ではあった、という事なんでしょうね!!
なんか、同じように大スターになった女性歌手という事なので、やはりそういう星を持って
産まれてくるのでしょうかね??現在の法律では、ここまで遠くなってしまった血筋はいとこ
とは言いませんが、なにか運命的なものをかんじますよね・・・✨
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いとこの噂の真相を追求!という記事をまとめてみました~♪いかがでしたでしょうか?
謎が多き美女である坂井泉水さんですが・・・、大黒摩季さんとの仲は本当に良かったんだと
感じます。まだ2人で仲良くおしゃべりしているシーンとか、2人でドライブしている映像
とかが残っていたら良かったのにな、と思いますね。どんなにかっこよかっただろう・・・と
思います。
そして坂井泉水さんは亡くなって10年以上たつ今でも、永遠に語り継がれるシンガーであ
る、という事がまた心に刻まれましたね。今でもまだ、坂井泉水さんの事を初めて知って、
ファンになっていく人達がいるんですからね!
松田聖子さんと坂井泉水さんも、遠い遠い先祖は同じなんだという事が分かりました。
かなり遠いんですけどね!
坂井泉水さんの事を、さきママも一生忘れませんよ!!また記事にさせて頂きます~♪
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